パリのワイン屋で、日本から来た友人が1本のボルドーを手に固まっていました。
「これ、どこに何が書いてあるのか、ひとつもわからない」。
大丈夫です。フランス人だって、ラベルを全部は読んでいません。
輸出の仕事で毎日何十枚もラベルを見ているわたしが、実際に見ているのは3ヶ所だけ。今日はその話です。

ラベルは履歴書ではなく、名刺
あの小さな紙には、法律で決められた項目がぎっしり詰まっています。度数、容量、瓶詰め元。
真面目に全部読み解こうとすれば、それだけで夜が更けます。
でも初対面でいただいた名刺の、肩書きの全部を読み込む人はいないはずです。見るのは名前と、会社と、キャリア。
ワインのラベルなら、この3つです。
- 生産者名:誰が造ったか。ワインの姓名
- 産地:どこのブドウか。味の方向を決める住所
- 年号:いつ収穫されたか。その年の天気の記録
逆に言うと、他の項目は読めなくても困りません。この3つを探す目だけ、今日持って帰ってください。
いちばん大きな文字が、名前とは限らない
白状すると、渡仏したての頃のわたしは、いちばん大きく書かれた言葉が銘柄だと思っていました。
それで「グラン・ヴァン・ド・ボルドーをください」と注文して、店のムッシュを大笑いさせたことがあります。
あれはただの「ボルドーの上等なワイン」という飾り文句で、名前でも何でもなかったのです。
生産者名は、シャトー◯◯、ドメーヌ◯◯という形で書かれていることが多い。
料理の味を最後に決めるのが料理人であるように、ワインの味を決めるのは造る人です。
だから輸出の商談も、必ず「誰のワインか」から始まります。
気に入った1本に出会ったら、生産者名だけスマホに控えておく。次の1本探しが、これで一気に楽になります。
次に産地。フランスワインは品種より先に、土地の名前を名乗ります。
ブルゴーニュ、ボルドー、アルザス。土地の名前が、そのまま味の予告編になっている。
なぜ土地がそこまで味を決めるのかは、ブルゴーニュの畑の話に書きました。
ここで戸惑うのが、「品種はどこに書いてあるの?」だと思います。
実はフランスのラベルには、品種名が書かれていないことが多いのです。アルザスのように書く土地もありますが、少数派。
土地の名前が品種を兼ねている、と考えてください。だから産地は、3つの中でもいちばん働き者の欄です。
最後に年号。ブドウが摘まれた年、つまりその年の天気の記録です。
暑い年はふくよかに、涼しい年は引き締まった味に。同じ造り手の同じ畑でも、年で表情が変わります。
当たり年を暗記する必要はありません。「この瓶は2020年の空を覚えている」と思えたら、それでもう十分です。
パリの店で働いていた頃、常連のマダムが年号を見て「娘が生まれた年だわ」と言って1本選んだことがありました。
正しい読み方より、ずっと素敵な読み方だと今でも思います。
読める、が増えると棚の景色が変わる
外国で暮らしていると、ある日ふと、街の看板が読める瞬間が来ます。
ただの模様だった文字が、意味を持って立ち上がってくる。あの小さな感動と、ラベルが読めた日の感覚はよく似ています。
記号の並んだ棚が、名前と土地と年の並ぶ本棚に変わるのです。
練習台には、シャトー・モン・ペラをよく勧めています。
3,000円前後のボルドーで、生産者・産地・年号が素直な配置で並ぶ、お手本のようなラベル。
そして中身は、この価格帯では出色の厚みです。ラベルの練習のつもりが、普通においしくて驚くと思います。
今夜、家にある1本でも、店の棚の1本でもかまいません。生産者、産地、年号。
3つ見つけられたら、そのボトルとはもう初対面ではありませんよ。

