8月も半ばを過ぎると、わたしの仕事相手たちの返信が、目に見えて短くなります。生産者からのメールが2行になる。電話をかければ「ごめん、いま畑」。
輸出の商談は、なんとなく全部9月末へ持ち越しになる。フランスのワイン業界には、この時期だけの暗黙の了解があるのです。
もうすぐヴァンダンジュ——収穫が、来る。

収穫1ヶ月前の畑は、匂いが変わる
収穫のひと月ほど前にブルゴーニュの畑を歩くと、空気がほんのり甘いことに気づきます。ヴェレゾンと呼ばれる、緑の粒が紫に色づいて糖をため込みはじめる時期。
生産者はこの頃からほとんど毎日畑に出て、粒をつまんで口に放り込み、種を噛んで、空を見上げます。
立派な分析機器を持っているのに、最後は自分の歯と舌で決める人が多いのが、わたしはとても好きです。
そして全員が、天気予報を1日に何度も見る。ブドウは待てば待つほど熟して、香りが豊かになる。
けれど待っている間に雨が続けば、果実は水っぽくなり、最悪の場合はカビにやられる。攻めるか、守るか。
「いつ摘むか」は、1年でいちばん大きな賭け
早く摘めば、酸のきれいな引き締まったワインになる。待てば、豊かで丸いワインになるかわりに、天気のリスクを丸ごと背負う。
この判断ひとつで、その年のワインの性格はほぼ決まってしまいます。
地域によっては収穫の解禁日が公示される仕組みもあって、9月のフランスでは「どこそこで収穫が始まった」が普通のニュースとして流れる。
国中がそわそわする理由が、これです。時期はおおまかに、暖かい南の産地から始まって、涼しい北へと駆け上がっていく。
同じフランスでも、収穫は1ヶ月以上かけて国土を旅するのです。
わたしは一度、収穫日を決めるまさにその晩に、知り合いのドメーヌの食卓に居合わせたことがあります。
当主と息子さんが「明日摘む」「いや、あと3日待つ」で延々と応酬して、ほとんど口論。わたしは気まずくて、チーズばかり食べていました。
でも翌朝、ふたりは何事もなかったような顔で、並んで畑に立っていた。あの親子の背中を、収穫の季節が来るたびに思い出します。
収穫が始まると、村の景色そのものが変わります。ふだんは静かな通りに、季節労働の摘み手たちのバンが停まり、パン屋の棚は朝のうちに空になる。
畑では朝6時からハサミの音が続いて、昼にはドメーヌの中庭に長机が出て、摘み手全員での大きな昼食になる。
学生も、常連のおばあちゃんも、隣村の若者も、同じ鍋の煮込みを囲む。あれはもう農作業というより、村のお祭りに近いものです。
フランスで「9月は特別な月」と言われるのは、新学期のせいだけではないのだと、あの長机を見て思いました。
ちなみにわたし自身も、摘む側に回ったことがあります。
収穫体験記に書きましたが、腰は半日で悲鳴を上げました。
あの1粒の重さを知ってから、グラスの最後のひと口が残せなくなったのです。
収穫の恵みを、3,000円で
収穫の話のあとに紹介したいのは、高級ワインではありません。3,000円前後のボルドー、シャトー・モン・ペラです。
メルローを主体にした、価格を思えば立派すぎる厚みの1本。
この価格帯のワインだって、誰かが天気とにらみ合い、いちばんいい日を選んで摘んだブドウからできています。
9月の食卓で「いまごろフランスでは収穫だな」と思いながら開けるのに、ちょうどいい相棒です。
今年の出来がどうだったのか、本当の答え合わせができるのは1年以上先です。だからこの季節のわたしは、送られてくる畑の写真ばかり眺めてしまう。
パリの空が、少しずつ高くなってきました。収穫は、もうすぐです。

