星付きの店で働き始めたばかりの頃、わたしはソムリエの試飲風景が少し苦手でした。
グラスを光にかざし、くるくる回し、鼻を突っ込んで、難しい顔。正直、芝居がかって見えたのです。
ある晩、先輩にそう白状したら、笑って一言。「あれはね、順番に質問しているだけだよ」。
テイスティングの型——見る・回す・嗅ぐ・含む——は、儀式ではなく情報収集の順番でした。
今日はその話をします。当時のわたしの通勤路、朝のルーヴル前くらい静かな気持ちで読んでください。

遠くからわかることを、先に聞く
順番には理由があります。目、鼻、口。ワインに近づいていく距離の順なのです。
- 見る: 色の濃さと輝き。若いか熟成か、軽いか重いかの見当をつける
- 回す: 空気に触れさせて、閉じていた香りを開かせる準備運動
- 嗅ぐ: いちばん情報の多い工程。果実、花、樽、熟成の気配を聞き取る
- 含む: 最後の答え合わせ。酸味、渋み、余韻で見立てを確かめる
聞き込みと同じで、遠くからわかることを先に集めておくと、最初のひと口が何倍も雄弁になります。
いきなり飲むのは、質問を全部飛ばして結論だけ聞くようなもの。もったいないのです。
たとえば「見る」だけでも、赤の色が濃くて縁まで紫がかっていれば若々しいワインかな、と見当がつく。
グラスを傾けて、白ワインに黄金色の深みがあれば、樽や熟成の気配を疑ってみる。
当たり外れはあっていいんです。見当をつけてから確かめるから、外れたときほど記憶に残ります。
「含む」も同じで、少量を口に入れて舌の上に広げ、飲み込んだあとに香りが続く長さを数えてみる。
余韻が長いワインに出会うと、静かな部屋で音楽の残響を聴いているような気持ちになります。
主役は「嗅ぐ」です
輸出の仕事でわたしは年に何百杯も試飲しますが、いちばん時間を使うのは飲む工程ではなく、嗅ぐ工程です。
香りには、そのワインの履歴書がほぼ書いてあります。口の中の情報は、実はその答え合わせにすぎません。
だから型の練習も、嗅ぐ前の「回す」までを丁寧にやると差が出ます。
展示会で朝から何十本も試飲する日は、この型だけが頼りです。順番が体に入っていると、疲れてきても迷子にならない。
型とは、才能の代わりに誰でも持てる道具なのだと思います。
ちなみに回す練習は、水を入れたグラスでどうぞ。わたしは新人時代に勢いよく回しすぎて、白いシャツを一枚だめにしました。
香りの語彙は、あとから増やせる
「嗅いでも何も思い浮かばない」という方、安心してください。それは鼻の性能ではなく、語彙の問題です。
わたしも最初は「ぶどうの匂い」としか言えませんでした。
香りは外国語の単語と同じで、見本と名前をセットで覚えれば誰でも増やせます。
パリで暮らして気づいたのは、マルシェが丸ごと香りの教材だということでした。
カシスの山、熟れた洋梨、切りたてのハーブ。八百屋の前で足を止めて嗅ぐのはただですから、日曜の買い物が全部練習になります。
いつか果物売り場で「この香り、あのワインだ」と立ち止まる日が来たら、もう合格です。
その練習にいちばん向くのが、以前くわしく書いた香りの見本帳、ル・ネ・デュ・ヴァンです。
54種の香りが小瓶に入っていて、寝る前に3本嗅ぐだけで、グラスの中の「知っている香り」が少しずつ増えていく。
値は張る教材なので、まずは記事を読んでから検討してください。
今夜のグラスで、10秒だけ型をなぞってみてください。見て、回して、嗅いで、それからひと口。
かっこつけではなく、質問です。ワインは案外、ちゃんと答えてくれますよ。

